ライラックのお話

-ライラックのお話-

◆ライラックが札幌市の木になった由来

昭和35年、札幌市の人口50万人突破と、ポートランド市との姉妹都市提携を記念して、札幌にふさわしい花(スズラン)、木(ライラック)、鳥(カッコウ)が選ばれました。

◆ライラックの森の概要

ライラックの森は、札幌市の委託を受けて当財団が1991年10月に策定した「川下公園ライラックの森基本構想」に基づいて造成されました。
ライラックは、当時、アメリカ・カナダ・ヨーロッパでは主要花木の一つでしたが、日本では品種の導入が遅れまとまった品種のコレクションはありませんでした。
そこで、ライラックを市木とする札幌市は、札幌の冷涼な気候に適したライラックのすばらしさを広く市民や多くの人に楽しんでもらう場所としてライラック園の造成を行いました。
川下公園のライラックの収集は、札幌の気候に適した品種の選定を行い、その多くはカナダのロイヤル・ボタニカル・ガーデンズから枝の供給を受け、接ぎ木によって増殖したもので、このほかにアメリカ、中国、ドイツ等からも収集しています。早咲きは5月中旬から咲き始め、遅咲きが終花する7月上旬までの約1ヶ月半の間におおよそ200種類のライラックの花が次々に咲き、公園中にリラの香りを漂わせます。それぞれのライラックに名盤を立てており、品種名や作出者、国等が一目で分かります。

◆ライラックの原種

ライラックの原種はヨーロッパ南東部(バルカン半島等)から東アジアにかけて約30種が分布しています。多くは、中国・朝鮮半島等のヒマラヤ・アジアに分布し、その大半は中国に集中しています。日本にも遅咲きで樹高7~8mにもなる大型の固有種のハシドイ(ジャパニーズ・ツリー・ライラック)があります。

 

◆What's ラィラック?

モクセイ科ハシドイ属
[学  名] Syringa(シリンガ)
[和  名] ハシドイ、金衝羽(きんつくばね)
[英  名] lilac(ライラック)、pipe tree(パイプツリー)等
[仏  名] lila(リラ)
[中国名] 丁香(チョウコウ)

 

◆ライラック品種改良の歴史

ライラックは、16世紀頃からフランスで栽培されるようになり、18世紀から19世紀後半までフランスにて品種改良が盛んに行われていました。

ヴィクトル・ルモアン(1823-1911)
【フランス東部ロレーヌ地方ナンシー】:親子3代で214品種もの新しいライラックを作りだし、その後の品種改良にとても大きな影響を与えました。作品の1/3以上はブルー系です。
ディーク E トーマス(1881-1975)【オランダのアムステルダム郊外アールスメール】:切り花用ライラックの温室栽培をしていました。
通常では考えられない環境に置かれた一部の枝が、突然変異を起こし違う花が咲くこともあります。その枝を挿し木等によって増殖し、たくさんの品種を作り出しました。
♦イザベル・プレストン(1884-1965)
【カナダ】:農務省中央試験農場の園芸試験場でライラックやユリの品種改良を行いました。中国原産のウスゲシナハシドイとシセンハシドウを掛け合わせ、プレストンライラックと呼ばれる品種群を作り出しました。
レオニード A.コレスニコフ(1893-1973)
【ロシア】:独学で多くの八重咲きを作り出しました。
ジョン F.フィアラ神父(1924-1990)
【アメリカ】:いくつもの種を掛け合わせ品種改良に力を注ぎました。
この他にも数多くの育種家がライラックの品種改良に携わりました。

現在では、世界各地で栽培・品種改良が行われています。カナダのロイヤル・ボタニカル・ガーデンズが品種の登録管理を行っており、現在、園芸品種約2600品種ものライラックが登録されています。

 

◆ライラックの花の色分け

ライラックの花の色は、カナダのロイヤル・ボタニカル・ガーデンズによって、7色に区分されています。
1 ホワイト系 2 ヴァイオレット系 3 ブルー系 4 ライラック系 5 ピンク系 6 マゼンダ系 7 パープル系

 

◆ライラックの豆知識

1 花言葉 白 年若き無邪気さ 青春の喜び
紫 恋愛のはじめての喜び
2 ラッキーライラック 小花は筒状で先が4つに切れ込んでいます。
5つに切れ込んだ花も稀にあり、幸せを呼ぶものとして喜ばれています。
3 鉢植えに向いたライラック ライラックの中にはパリビンやミス・カナダなど鉢植えでも栽培可能な品種もあり、マンションのバルコニーなどで栽培を楽しむことができます。

 

◆日本のライラックの歴史

日本に初めてライラックが持ち込まれたのは1879年とされています。
当時、函館市のイギリス領事であったリチャード・ユースデンは「病気の人が病院を必要なように、健康な人には休憩する場所が必要だ。」と函館市民に訴え、函館公園が完成しました。その時に、ユースデン夫人はイギリスから西洋クルミとライラックの苗を取り寄せ植栽したのが始まりとされています。
一方、札幌市ではスミス女学校(現・北星学園女子中学高等学校)の創設者である、サラ・C・スミスが1890年にアメリカに一時帰国した際に、自分の庭のライラックの苗を札幌に持ち込んだのが始まりとされています。
その後、スミス女子が持ち込んだライラックを札幌市民が株分けしたり、何らかの方法で札幌市に持ち込まれたライラックが市内に普及されたとされ、札幌市におけるライラック普及の歴史は謎が多いのが現状です。
しかし、札幌市は1800年代後半から1900年代前半に欧米の文化や技術の影響を受けて発展しました。札幌市民にライラックが愛されるのはこのような歴史的背景があったからかもしれません。