大通(後志通の土地利用の変化

大通(後志通)の土地利用の変化

大通はその名の通り道路として生まれています。それは現在でも変わらず、「日本の道百選」にも選ばれているとおり、道路敷地のままになっています。公園は、道路の上に仮住まいをしているということになっているのです。

これは大通が誕生したときからずっと同じ状況だったようで、広々とした空間を利用して、様々な活動が繰り広げられてきました。1875〜6年(明治8〜9年)には、現在の3,4丁目に、札幌官園で作られた花卉類を植え込んだ六千坪もの「大通花草園」が作られています。

札幌官園は、偕楽園の中に前年に設けられたばかりですが、開拓使顧問のホーレス・ケプロンの方針で、開拓地を花で飾ろうと考え、アメリカから導入された花卉類が既に百種類も栽培されていたのです。しかもこの時に、御雇い外国人として、特に園芸の方面で大活躍するルイス・ベーマーが、酪農普及のためにアメリカから牛馬を連れてきたエドウィン・ダンと同じ船で北海道にやってきています。

当時の札幌の人口はわずか二千七百人程度、はたしてどんな目でこの「大通花壇」を見ていたのか、あるいはルイス・ベーマーがこの大通花草園の植栽に実際に関わっていたのか、興味は尽きないものがあります。

大通の花壇はこの二年だけで、その後1878年(明治11年)には農業博覧会が開かれていますが、だんだん手狭になっていき、1887年(明治20年)には中島遊園地に移転しています。その後は運動場や祝賀行事など、町の発展と共に、その利用形態がどんどん変化して行く姿は、とても興味深いことなのです。

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監修:(有)緑花計画 笠康三郎

(参考:「札幌百年のあゆみ」札幌市史編纂委員会、札幌市、1970)
(参考:「札幌沿革史(復刻)」札幌史学会著、北海道出版企画センター、1979)
(参考:「さっぽろ大通」札幌の歴史を楽しむ会、新北海道教育新報社、1981)
(参考:さっぽろ文庫「大通公園」札幌市教育委員会、北海道新聞社、1985)
(参考:「ケプロンの教えと現術生徒」富士田金輔著、北海道出版企画センター、2006)

目次一覧

  1. 大通公園の歴史と植物トップ
  2. 札幌の町の誕生
  3. 火防線から後志通、そして大通
  4. 大通(後志通の土地利用の変化
  5. 鯨の森
  6. 豊平館の誕生
  7. 豊平館のなごり
  8. 大通花壇史(その1)
  9. 大通花壇史(その2)
  10. 大通花壇史(その3)