由緒ある樹木~公園の歴史とともに~

エゾヤナギ ヤナギ科 シダレヤナギ ヤナギ科
枝垂れウンリュウヤナギ? ヤナギ科 イチョウ イチョウ科
ギョリュウ ギョリュウ科 ケヤキ ニレ科
フ ジ  マメ科 ハウチワカエデ‘舞孔雀’ カエデ科
ヨーロッパクロマツ マツ科 中島公園樹木マップ

エゾヤナギ ヤナギ科

中島公園は、豊平川の一部であった由来から、この場所には当初からそんなに大木は生えてなかったのではと推測しています。これだけの大規模な扇状地を作り上げてきた川ですので、頻繁に流路を変えていたことが考えられるからです。そんな、いわば河原のような場所に生える樹木と言えば、やはりヤナギを第一に挙げなければなりません。園内にはたくさんの樹木がありますが、百年を超えるような大木は意外と少なく、エゾヤナギ(Salix rorida)が一番古くからあるように思います。南14条通に近い川の縁にある木は、上部がなくなっていますが、直径が1m以上ある大木がどっしりと根をはっています。園内ではありませんが、中島公園通入り口脇の鴨々川河川敷にもう1本、これに匹敵するくらいの大木がありましたが、2010年秋にとうとう倒れてしまいました。隣接する護国神社境内や、遊水路付近にもかなりの大木が点在していることから、エゾヤナギやハルニレが中島周辺の原風景を形作っていた樹木ではないでしょうか。

ヤナギ類は、似たような種類が多く、区別の難しい樹木ですが、エゾヤナギには托葉(たくよう)という小さな葉のようなものが葉の付け根に付いています。

エゾヤナギの大木 エゾヤナギの葉の付き方
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シダレヤナギ ヤナギ科

園内の菖 園内の菖蒲池の回りには、水辺にふさわしい樹木としてヤナギ類がたくさん植えられており、大部分はシダレヤナギになっています。シダレヤナギ(Salix babylonica L.)は、「自生地か不明または中国原産とされ、独特の樹形で日本各地に最も普通に植栽されるか、大橋(1997)によれば、中国の原産地では日本でみる様に枝か長くは枝垂れないとのことである。このようなものから突然変異により枝垂れる性質を持ったものが生じ、樹形の面白さからシダレヤナギと命名され各地に広まったとも考えられる。」(山口)とあります。学名がバビロニカになっていますが、特にバビロン地方の原産という訳でもなく、古くからあちこちにもたらされて植えられていたために、このような誤認が起きたものでしょう。わが国にも奈良時代には渡来していたと謂われるほどです。ヤナギは雌雄異株の樹種ですが、シダレヤナギは雄木しか導入されなかったようで、種子が稔ることはありませんが、道庁の前庭の池の縁に2本の雌木があり、これにだけは種子が稔ります。ヤナギ特有の柳絮(りゅうじょ)と呼ばれる種子の回りの綿毛のお陰で、あちこちに種子が運ばれていきますが、シダレヤナギの場合にはこのような風情はない訳です。(参考:「箒状樹形のヤナギ(ペキンヤナギ由来)のルーツ物語」山口純一著、私信、2010)
シダレヤナギの枝 シダレヤナギの果実(道庁前)
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枝垂れウンリュウヤナギ? ヤナギ科

菖蒲池の回りには、シダレヤナギと共に数本のウンリュウヤナギが混じっています。ウンリュウヤナギ(S. matsudana Koidz. var. tortuosa Vilm.)は、枝がまっすぐに伸びず、螺旋状にうねりながら伸びる性質があり、枝垂性と共に雲竜性という呼び名からこのような名前になっています。基本種はペキンヤナギの名の通り、中国北部の原産種で、中国名は旱柳と呼ばれています。この中国名の通り、水湿地でなく乾いたところでも育つ性質があり、中国の砂漠緑化にもよく用いられている樹木だそうです。わが国には基本種であるペキンヤナギそのものはほとんど導入されておらず、変種のウンリュウヤナギが昔からよく花材などに使われていました。札幌市内にもあちこちに大木に育ったウンリュウヤナギがあります。ところが豊平館前の池の縁に、外見からはてっきりシダレヤナギだと思っていたヤナギが、実はウンリュウヤナギであることに気付きました。

よく見るとこの手のヤナギは数本あるだけでなく、樹高20m以上の大木になっているものまでありました。

これを研究している方に早速画像を送ってみましたが、全くそのような報告は出ていないとのこと。

春に花が咲いてから詳しく調べてもらうことにしていますが、不思議なものが園内にあるものです。

(参考:「箒状樹形のヤナギ(ペキンヤナギ由来)のルーツ物語」山口純一著、私信、2010)

(参考:緑化植物どこまできわめる「旱柳(ペキンヤナギ)」山本牧子著、日本緑化工学会誌、2009、34(3))

枝垂れウンリュウヤナギの大木 枝垂れウンリュウヤナギの枝の様子
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イチョウ イチョウ科

生きた化石と呼ばれるイチョウ(Ginkgo biloba)は、中国原産で、平安時代後期から鎌倉時代にかけて、仏教伝来と共にわが国にもたらされていたようです。このため社寺の境内に植えられていることが多く、各地に古木が残されています。中でも鎌倉の鶴岡八幡宮にあった大木は有名で、源実朝が暗殺されたときに、公卿がこの木の陰に隠れていたことから、隠れイチョウと呼ばれていましたが、渡来年から考えるととても陰には隠れられない筈だという意見もあり、また2010年には強風で倒れてしまい、マスコミを賑わした最も有名なイチョウになりました。やせ地や公害にも耐え、剪定に極めて強く、黄葉の美しい樹木のために街路樹に植えられることの多い樹木ですが、公園の並木にもよく使われています。本公園では、南9条通入り口の並木や、豊水通側の列植など、見事に育ったイチョウがたくさんあります。9条通の並木は、地下鉄南北線の工事の際には一時撤去され、工事が終わってから元に戻されたため、少し弱ってしまいましたが、ようやく枝の伸びも元気になってきたようです。イチョウは雌雄異株で、雌木には銀杏がなりますが、とても臭い果実のため、一般には雌の木は敬遠されて使われないことが多いと言われます。しかし若木のうちは区別ができないため、結構混じって植えられていることから、秋遅くになると銀杏拾いの方が朝早くからゴム手袋をして集まってくるのです。
イチョウ並木の黄葉 参考:イチョウの果実であるギンナン
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ギョリュウ ギョリュウ科

ギョリュウ(Tamarix chinensis)の仲間はギョリュウ科の植物で、ユーラシアからアフリカの内陸部にかけて約50種が分布しています。その中で本種は最も広く利用されている植物で、ヤナギのような姿から御柳と名付けられたものでしょうか?ヤナギというよりは、沖縄などでよく植えられているモクマオウによく似ていると思います。中国内陸部の原産で、楊貴妃が特に好んで植えさせていたという話も知られています。乾燥や塩分に大変強く、塩が上がりやすい内陸部でも逞しく育つ植物のようで、室蘭港の緑地では、海から10mほどのところで元気に育っているのを見たこともありました。耐寒性も大変強いようで、札幌市内でもあちこちで見ることができます。本種が庭園などによく植えられるのは、枝を伸ばすにつれて花芽が付き、札幌でも夏の暑い年には何度も花を見ることができるという特性からでしょう。

2010年の夏は記録的に暑い年でしたが、旧百花園にあるギョリュウは、7月からずっと10月近くまで咲き続けました。

このため、ギョリュウの別名には『三春柳』という、その性質を表した素敵な名前もあります。

8月の二度咲きの花 9月末にも咲いている
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ケヤキ ニレ科

ケヤキ(Zelkova serrata)は、日本(本州、四国、九州)だけでなく、朝鮮半島、中国、台湾にまで分布しているニレ科の樹木で、落葉広葉樹の代表的な樹木といえるでしょう。中でも関東平野から東北にかけては素晴らしい大木があり、表参道や国立駅前、仙台市の常禅寺通など、素晴らしい並木は特に知られているほか、東京の武蔵野方面では、電車の窓からあちこちに大木があるのがよく分かります。北海道には残念ながら分布していないのですが、札幌でもかなり古くから植えられていたようで、元の偕楽園である植物園の北のI邸や、明治32年に植えられたと言われる大通6丁目の大木など、あちこちに大木があります。本公園では、伊夜日子神社との間に大木があり、素晴らしい樹形を誇っていますが、そのいわれはまだ分かっていません。ケヤキは街路樹によく植えられましたが、そのすらっと広がる樹形は沿道にとっては邪魔になることが多く、せっかくの樹形がぶつ切りにされることが多くなっているようです。そのような実情の中で、栽培している中から突然変異でほうき状に育つケヤキが見つけられ、「むさしの1号」、「むさしの2号」という品種になって出回るようになりました。狭い道路でもケヤキを植えたい場合に、これがよく植えられていますが、ちっともケヤキらしくないと思いました。ところが、この品種が園内の、それもこのケヤキの大木のすぐ近くに植えられているのです。

上部がすぼまった樹形からは「むさしの2号」のようですが、一体誰がこんなものをここに植えたのでしょうか?

ケヤキの大木 すぐ横にあるのは、むさしの2号か?
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フ ジ  マメ科

9条入り口からキタラに向かう道は、やがて左に菖蒲池を、右手には日本庭園の池を見ながら、大きな藤棚の下をくぐり抜けていきます。現在の藤棚は十数年前の再整備の折りに新調された立派なものですが、それ以前には丸太と晒竹を組み合わせた昔ながらのものだったと記憶しています。ここにいつから藤棚が設置されたものかは分かりませんが、明治時代の岡田花園の写真を見ると、池に花を垂らす藤棚が写っていることからも、昔から庭園の主要構成要素であったことが窺えます。フジは、万葉の時代からたくさんの歌に詠まれ、また藤原氏のシンボルであり、源氏物語では光源氏の初恋の人として藤壺が登場するなど、古来より大切な存在であったと考えられます。ところが武家社会であった江戸では、「なり下がる」藤は嫌われていたともいわれ、時代によってその扱いにも変化があったようです。藤色や白の花房を長く垂らすフジは、やはり豪華で華やかさを感じさせてくれるし、甘い香りは春の訪れを実感できる花といえるでしょう。(参考:「花と民俗」川口謙二著、東京美術、1982)
フジの花 大きな藤棚から花が垂れ下がる
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ハウチワカエデ‘舞孔雀’ カエデ科

菖蒲池の南側の樹林内に、写真のような優雅な葉を持ったカエデがひっそりと立っています。これはハウチワカエデ(Acer japonicum)(園芸的には名月楓の方が通りがいいのですが)の園芸品種である‘舞孔雀’という珍しい品種なのです。かつて公園の東側を通る豊水通は、二車線しかないとても狭い道路でした。約25年前になりますが、豊水通を拡幅することになり、沿道の民地も買収されることになったのです。現在の文学館の少し南の向かい側には、雅叙園という由緒ある料亭がありましたが、この拡幅工事に合わせて店をたたむことになり、不要になった庭木をすべて市に寄贈することになりました。たくさんのイチイやモミジなどが、すべて中島公園内に移植されましたが、玄関脇にあったこの舞孔雀は女将も思い入れがあったものか、絶対に枯らさないでねといわれたことを思い出します。(雅叙園の庭木のうち、ヨーロッパクロマツ三本はちょうど街路樹の位置になったことから、現在も街路樹のように並んで立っています。)真夏の移植で困難を極めましたが、この木はしっかりと活着して現在も大きく育っています。

しかし、当時は回りの木もそんなに大きくなく、十分陽が当たっていましたが、今では回りから覆い被せられて気息奄奄のように見えてなりません。

由緒ある珍しい樹木だけに、日本庭園の主役にもなれる樹なので、是非とも大切に扱っていきたい樹であると思います。

舞孔雀の優雅な葉 かつての雅叙園の庭木だったヨーロッパクロマツ
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ヨーロッパクロマツ マツ科

鴨々川を挟んだ住宅地の一角の空き地に、立派な黒松と足元に小さな石碑があります。この碑には、紀元二千六百年(昭和16年)に立てられたとあり、70余年前の明治4年にこの木が植えられたと書かれています。明治4年は札幌の町づくりが本格的に始まった年であり、山鼻屯田もまだできていない時であること、この木は日本の黒松ではなく、当時はまだ導入されていないはずのヨーロッパクロマツであることなどから、明治4年という記述には疑問も残りますが、かなり古いものであることだけは間違いないでしょう。この場所にはもと料亭鴨川があり、当時はこの邸内であったことになりますが、今は碑の横に残る春日燈籠と、塀の一部が残るだけになっています。2004年の台風被害によって、鴨々川沿いのシダレヤナギも多くが倒れてしまいましたが、もともとは京の鴨川を模してこの料亭が植えたものであるといわれます。かつての川沿いには、呉服屋や染物屋がいくつかありました。かつての鴨々川の清流に反物を晒して、水洗いをやっていたなごりでした。中島公園口の向かい側にも、最近まで京美屋という呉服屋さんがありましたが、今では更地になって駐車場になってしまっています。このようにかつての風情が次々と失われるなかで、この黒松は百年以上の歳月を超えて、今なおかつての栄華を偲ぶよすがになっていますが、ここもいつマンションになってしまうか分かりません。

どんな建物になろうと、この木だけはなんとか守ってほしいものだと思っています。

 不老松  不老松の石碑
不老の松 1941(昭和16)年に立てられた不老松の石碑
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中島公園樹木マップ

中島公園の代表的な樹木を見て回るコースを設定したマップです。
マップに記載されている樹木の株元には樹木マップ対応の銘板が設置されています。
ダウンロードはコチラ(pdfファイル)
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