イサム・ノグチ
Isamu
Noguchi (1904 ロサンゼルス−1988 ニューヨーク)
英文学者で詩人の野口米次郎を父に、アメリカ人の作家レオニー・ギルモアを母に持つイサム・ノグチは、少年期を日本で過ごし、その後渡米して彫刻家を志す。20代からアジア・ヨーロッパを旅し、文化遺産、絵画、彫刻、建築等を広く見聞し、パリでは彫刻家ブランクーシの助手も経験する。
ニューヨークに居を定めてからは、肖像彫刻、舞台美術、環境彫刻、商業デザインといった、幅広い活動を展開し、遊具、公園等の設計も開始する。戦後は日本でも活動が紹介され、日本の芸術家や文化と触れあい、陶芸彫刻や和紙を使った「あかり」のデザインなどを行う。日米両国で世界的な彫刻家として知られ、最晩年までモニュメントの制作、ランドスケープデザインを精力的に行い、1988年、モエレ沼公園のマスタープランを策定し、その年の12月、ニューヨークにて永眠する。
イサム・ノグチ略年譜
| 1904 | ロサンゼルスに生まれる。 |
| 1906 | 母と日本に移り住む。 |
| 1918 | 単身渡米。彫刻家を目指す。 |
| 1924 | レオナルド・ダ ・ヴィンチ・スクールに入学、彫刻を学ぶ。 |
| 1927 | 渡仏し、パリでブランクーシのアトリエで働く。 |
| 1930-31 | パリに戻り、その後北京に8ヶ月滞在し、毛筆、デッサンを学ぶ。 東京を訪れて陶芸を学ぶ。 |
| 1935-36 | メキシコに滞在し、壁面レリーフ制作。 |
| 1949-50 | ヨーロッパ、エジプト、インド、日本を旅行。 |
| 1951 | 〈あかり〉のデザインを開始。 北大路魯山人に学び、素焼きの作品を制作する。 |
| 1952 | 神奈川県立近代美術館で個展開催。 |
| 1956-58 | パリのユネスコ本部の庭を制作。 |
| 1961 | ロング・アイランド・シティにアトリエを構える。 |
| 1968 | ホイットニー美術館で回顧展。 |
| 1970 | 大阪万博のために噴水を制作。 |
| 1972 | 香川県牟礼町にアトリエを設ける。 |
| 1978 | 「ノグチのイマジナリー・ランドスケイプス」展 開催(ミネアポリスのウォーカー・アート・センター他巡回)。 |
| 1980 | ホイットニー美術館50周年記念イサム・ノグチ展。 |
| 1985 | ロング・アイランド・シティのイサム・ノグチ・ガーデン・ミュージアム一般公開始まる。 |
| 1986 | 第42回ヴェネツィア・ビエンナーレのアメリカ代表となる。 |
| 1987 | レーガン大統領より国民芸術勲章 を授与される。 |
| 1988 | 春の叙勲で勲三等瑞宝章授与される。 札幌・モエレ沼公園の設計を行う。(5月〜11月) |
| 1988.12.30 | ニューヨークにて永眠。 |
ブラック・スライド・マントラ
滑り台でもあるこの彫刻は、「ブラック
・スライド・マントラ」と名づけられている。1986年のベネツィア・ビエンナーレにおいて発表され、イサム・ノグチの設計したフロリダ州マイアミ市のベイ ・フロント・パークに設置されている「スライド マントラ」(高さ2.8m、重量60t、白大理石)シリーズのひとつ。特異な建築物として知られるインドの遺跡ジャンタル・マンタルの天体観測所に影響を受けて
制作されたものと考えられている。
大通公園に強い関心を持ったノグチが、既存の子供たちの遊び場をより楽しいものにすること、大通公園の一つの象徴としての遊び場を創ることを考え、その材質(雪と対照的な黒御影石)とスケール(高さ3.6m、重量80t)をこの空間に合わせて決定し、設置された。
また、「ブラック ・スライド・マントラ」は、モエレ沼公園と札幌市の中心部を結びつける重要な役割も果たしている。未来を担う子供たちが彫刻にじかに触れ、上がったり、滑ったりすることによって彫刻を理解するとともに、人間を、大地を、宇宙を大いに讃歌することを願って制作された。
